母に教えてあげるときのむなしさ

ブログ続かないなー。

最近は、相変わらず仕事の クレーマー対応したりして疲れている。

1か月前には、クレーマーと向き合っていきたい気分だったんだけど

もう無理になってしまった。

自分的に限界にきてしまい、話をするのも嫌になってしまった。

以前は、人として「こうあらねば」という自分にこだわっていたので

きちんと対応しないといけない、とか、人権を守る、とかいろいろがんじがらめに

なっていたんだけど。

もうやめたー。「ねばならない」思考は、とにかく避けたい。

「あなたは、どうしたいの?」

「私は、だれにでも権利はあると思うし、人とは真剣に向き合いたいと思う。」

「向き合いたいと思っているんだね。」

「そうなの。でも、もう限界。だって傷つくようなことばかり言ってくるし、

1つの要求に応えると、次から次にまた新しい要求をしてくるんだもの。」

・・・という、自分との対話を通じて、クレーマーへの対応はやめることにしました。

 

そして、今月は(もう月末ですが)母の誕生日があったので、焼肉を食べに行きました。

そのとき、飲みながら母と「生きる意味」の話になり、私が、ヴィクトールフランクルの本を読んで、よかったよという話をしました。そうしたら「私にも貸して」と言ってました。貸すのは、全然かまわないんだけど、、

66歳にして、娘に「生きる意味」を問うなよ!!!と、思いっきり腹立ちました。

子供のころ。毎日のように、「死にたい。」と言って泣いていた母の姿を思い出し・・・憎しみが沸き上がります。

私は、自分の子供には、「死にたい」なんて絶対に言わない、隠しとおしてやろう、と思った。

反面教師であったとして、母は生きていてもいいのでしょうか。

 

完全におかしくなるまで。

普段、まじでやばいなーと思う人と接することが多いと、以前に書いた。

私の仕事は、そういう部類なので、普通の会社員が接する人とは違う。

 

そんな中でも、クレーマー体質の人について考える。

クレーマーは、なぜにクレームをおこすのか。

そもそもクレームとは、 企業が商品またはサービスを提供して、その商品または

サービスを受けた人が、満足できないという場合におこる。

 

しかし、満足の度合いは、人それぞれである。

親または養育者から、満足だ、そのままで良いというメッセージを受け取ることのない子供は、大人になると、他人様にクレームを出してしまうようになるのではないか。

 

誰も気にも留めないようなことで、毎日のようにクレームを出している人がいる。

本当は、本人が一番きついのではないか。

 

クレームを言う→相手は、警戒して、萎縮する→クレームを言い続ける→相手は、距離をとろうとする→距離をとられていると感じてさらに攻撃する→皆逃げてしまい、誰もいなくなる。

 

誰かが、その人に一度でも本気で向き合ったことがあったのだろうか。

それを思うと、まじめに対応してしまう自分がいて、それを快く思わない人間が出てきて。私は、しんどくなる。

 

放っておけば、いいだけなのにねー。

アドバイスなんか、求めていないんだ。

わたしは、人の相談を受ける仕事をしている。

といっても、ほとんど事務作業なので、相談を受けるのは時々。

 

そんなとき、いつも基本的に「傾聴」といって、相手の人の言い分を

聞くだけというやり方をしている。ただし、相手が若すぎたり、

どうしてもアドバイスを求めてくる場合には話すこともある。

 

そんな自分の仕事も踏まえて、ストレス発散もかねて、外でお金を払って、

色々な人のカウンセリングを受けている。

(ACとかADHDのことや、パートナーや親との関係について話している)

 

今日は、パートナーとのことを話してきた。

言いたいことは簡潔で、「私は、パートナーにやさしくしたいが、それが

できない」というもの。

 

先日、また私が一人で怒っていたことがあった。

そのときに、彼から言われたのは、「誰もケンカしようと思っていないのに君がいつでも戦闘態勢だから、こちらも乗っかってしまう」という言葉。

なにやら私は、誰も怒っていないのに一人で怒りだして、攻撃し、攻撃を受けた彼が反撃してくるので、延々その繰り返しらしい。

 

それを聞いたカウンセラーは、「すべては自分から変わらないといけない」と説教しはじめた。自分から変われないから相談してんだよと思った。

 

そして、延々と彼に対する声かけのアイデアみたいなのを話し始めた。

聞いているのも嫌になったが、怒る気にもなれず脱力した。

 

カウンセラーの先生が話している時間を、もっと彼と私のやり取りの説明に使いたかったし、とにかく彼の理不尽なところを聞いてほしかったのに・・。

 

今日は、あらためて心がけようと思った。私は、仕事で相談を受けるときには

自分の経験談や説教みたいなことはしないと。

 

 

今日のひとこと:他人より優れようと思うな。他人と異なった人になれ。

 

映画「愚行録」を見た

またまた映画の話。

週末は、パートナーと、ワイン飲みながら
畳に寝転んで、映画みて寝落ちすることが
多い。

昨日は愚行録という、妻夫木聡主演のやつを
みた。
内容は大変な重さで、児童虐待、しかも性虐待
とか、女のマウンティングとか、重い。
女子大生の、壮絶なバトル?みたいなのがあってその中で
一人勝ちになっている女子大生が、じつは悪い人だったんだけど。
リアルでその女子に似た人を知っていて、なんかフラッシュバックした。

満島ひかり演じる女の子(主人公の妹)が、実の父から性虐待を
受けるという、ひどすぎる話があるんだけども。
その子は、名門大学に入って、さらに同級生に性的暴行を受け続ける。
しかも、憧れの女友達(例の一人勝ちの人)の策略で!!!
おぞましい話だ。
この手の輪姦パーティーみたいなの見ると、男に対し嫌悪感が増して
パートナーにも、不信感を持ってしまうことがある。

あと、関係ないと思うけど、微妙に世田谷一家殺人を思い出してしまった。


私は、映画とかドラマを見ていて矛盾点を発見するのが
ものすごい得意なんだけど、そもそも性虐待とかする
最低な親父が、名門大に娘行かせることできるの?と思った。
父親は、外ではエリートで家では最低なくずになるのかな。
母親は、これまた定番の最低セリフ「あなたが誘惑したから」とかいう。

矛盾点を追求すると、フィクションは楽しめないので、一緒に見てる人から
けむたがられる。
でも、追求せずにはいられない性分なのよね。

この、愚行録の作家さん(貫井さんかな)の、作品を読んでみたいと思った。
ぐだぐだ言いながら、暗くて重い、内容が大好きなんだろうな自分。

天童荒太とか、クソ重いやつが好きなんですよー。
なんでだろね。自分よりつらい家庭みて安心してんのかな。


今日のひとこと:あなたがつまらないと思って過ごした一日は、
誰かが生きたくても生きられなかった一日かもしれない。

(映画の話)人間の弱さって、強みなんじゃないかな。

きのう、「何者」っていう映画を見た。

ヤフー映画のレビューは酷評が多くて、相方も「つまらないんじゃない。」と言っていた。しかし、私はこれを見て面白いと思った。

私は、アラフォー世代なので、SNSツイッターをやらない。

でも、今の若い人は、みんなそれが当たり前になっているのかなーと感じた。

映画は、大学生が就活を通して描く人間模様といったところである。主人公は演劇の

才能を持ちながら、一般企業に就職しようとして内定が出ないでいる。

ネタばれになっちゃうけど、最終的に主人公は、周りの友達をいちいち、ツイッターディスることで、自己を保っていたのだ。それを、友達に非難されたり、するわけなんだけども。

私は、べつにいいんじゃない、と思ったのだけれど、やはり物語のなかでは、非難されるのだ。

私は個人的には、就活は高卒のときに経験して、すぐに決まったけど、会社を1年でやめました。それからも転職は、何度もしているけど高望みしない傾向からなのか、そんなに落ちたことはない。

でもADHDだし、コミュ障だから、入ってからは地獄で、2年ごとに職を転々としてきた。

話を戻すと、映画の主人公は、ずっと就活してるみたいなんだけど、最後の面接のシーンで自分の弱さをさらけ出す。これまで、親友の演劇を馬鹿にしてきたことや、いろいろな思いを。そこで面接官は引き込まれていた。

そこで、映画は終わりなんだけど、主人公は、周囲の人の批判をすることで何とか生きてきたんだけど、もっと主人公の育った環境がわからないと、どうして彼はこんなふうになったのかわからないと思った。主人公のルームメイトは、自己肯定感満載の明るいイケメンで、内定もすぐにとった。

つまるところ自己肯定感がすべてなのかw

弱みを強みに変えていきたい。

 

今日のひとこと:傷ついた一羽のコマドリを、巣に戻すことができたなら、私の人生は無為ではない。エミリー・ディキンソン

 

ブログをはじめます。

カボヲです。満を持して、ブログをはじめました。

ADHD(自分ではPDDも有ると思っている)で飽き性なので、いつまで続くのか

わかりません。

でも、できる範囲で続けていきたいです。

テーマは、AC(アダルトチルドレン)、動物大好きなので動物関係、

星も大好きなので自然関係、心理学、スピリチュアル、社会学ADHD関係など

幅広く書いていきたいと思います。

もう、ずっと前からブログというものの存在を知っていました。

かれこれ2004年くらいかな?でも、仕事が忙しくて書く暇なんかない。という

持論のもと避けてきました。

いま、それから12年の月日が流れて、やっと書ける状態になって

きたのかなあと思ってます。

私は、2011年ころから、精神を病み始めました。不安障害、適応障害との診断。

でもずっと、自分というものが消せなかった。妄想や幻覚を見て、自分を消せていたら

人生変わっていたかもしれない。でも消せなかった。だから、精神の障害は、ないんだと思います。少し、生きていくのがつらい人なんだと思います。

あれから、6年・・

自分の内面を、いまだに模索中です。でも何だか、回復しているような気がしてます。

これから、今まで考えてきたけれど、人には言えないことも、発信していきたいです。

なぜなら、私はずっと、他人のブログに勇気づけられて今日まで生きてきたから。

これからは発信していくことで恩返しになればいいかなあ~

なんて甘いでしょうか。

なにはともあれ、はじめます。

今日のひとこと:「強い人は、許すことができる。弱い人は、許すことができない。」ガンジー